新聞部の部長・築山三奈子と その妹の山口真美は、そろって写真部の部室を訪ねた。
‥と言っても、彼女らの部室のすぐ隣りなのだが。
「三奈子さまと真美さんのツーショット写真？ なるほど、そう言えば意外となかった
ですね。お二人とも、被写体を追いかける方の立場だったからかなぁ 」
写真部の新部長・武嶋蔦子は現像作業を続けながら、背中を向けて２人の話に耳を
傾けた。
（３年生がわざわざ出向いてきてるのに、何て態度よ‥ ）
三奈子は、どうもこのカメラオタクの２年生が苦手だった。波長が違うというか、やる
ことなすことカンに触る。それでも新聞部と写真部という関係上、つかず離れずうまく
付き合ってきた。
しかし、今日は彼女への個人的な頼み事。あまり借りは作りたくないのだが、妹の
真美に引きずられるようにしてやって来たのだ。
「それで、三奈子さまが卒業される前に姉妹の記念としてのツーショットを残して
おきたいと。そのカメラマンとして不肖・武嶋蔦子の腕をかって下さるということ
ですな 」
この持って回った物言いも、三奈子にはイライラする。
「別にそこまで特別に期待してるわけじゃないわ。ただ、校内でカメラを使えるのは
あなたたちだけでしょ、だから頼みに来たんじゃないの 」
リリアンでは、私物の校内持ち込みは校則で禁止されている。当然カメラなんて
絶対にダメ。
蔦子さんが普段持ち歩いているカメラは写真部の機材で、シャッターチャンスという
ものがいつあるか判らない以上、部活動の一環として常にカメラを携帯することを
学園から特に許可されている‥ということらしい。一応。
しかし、作業の手を止めた蔦子さんは２人の座っているところまで戻ってくると、申し
訳なさそうに言った。
「まあ何にしても光栄なことには違いないんですが、うーん‥‥。すみませんけど、
この仕事お断りさせてください 」
「ええっ、ど、どうして？ 蔦子さん 」
「あなた、女子高生の写真を撮るのが趣味だって、いつも言ってるじゃない！ 」
予想していなかった答えに、うろたえる新聞部の姉妹。
蔦子さんは、トレードマークの縁なしメガネのフレームをクイッと上げると、２人の
顔を代わる代わる見据えた。
「三奈子さま、心なしかお口が紅いような。珍しくメイクされたようですね？ 」
「う゛っ‥？ 」
「真美さん、いつもの元気なピョン毛がすっかりおとなしくなってますよ。昨日、美
容院に行ったでしょう？ 」
「‥‥‥ 」
「そうやって、よそいきのおめかしをして、カメラを意識した記念写真ほど つまら
ないものは無いんですよ。お二人の為にも、そんなツーショットは撮りたくないと
いうことです。
卒業まではまだ何ヶ月もあるんだから 焦ることもないでしょう。お二人のことは
気にかけておきます。写真部のこれまで通りの活動で、良い写真が撮れたら必ず
持っていきますから 」
夕暮れになると草むらから虫の声が聞こえ始め、少し秋めいてきたことが判る。
マリア様のお庭から、校門まで続く長い銀杏並木。ここを真美と並んで一緒に帰る
のも久しぶりだ。
しかし三奈子はそんな感傷よりも、たった今 味わった屈辱に憤慨していた。
「まったく！ 真美のおかげでいい恥をかいちゃったわ！ 」
「すみません、お姉さま‥‥ 」
「わざわざ姉妹そろって あの武嶋蔦子のところに頼み事に行って、ご丁寧に断られ
てくるなんて‥！ 」
「すみません、お姉さま‥‥ 」
何だか真美の様子がヘンだ。
いつものようにガンガン反論して来ると思ったら、妙に素直で拍子抜けしてしまった。
それ以上突っかかることもできず、三奈子は一転 声を和らげて真美を慰めた。
「で‥でもまあ、別にいいじゃない、私が卒業したからってそれでお別れってわけ
じゃないんだから。わざわざ写真部に頼まなくたって、２人で写真なんていつで
も撮れるんだし 」
「‥‥そうじゃないんです 」
真美は、しょんぼりとうつむいて、ひとり言のようにつぶやいた。
「同じリリアンの制服を着た写真が‥。お姉さまと初めて出会った、このリリアン
の新聞部での ２人だけの思い出が欲しかったなぁ‥って‥‥ 」
「‥‥‥‥ 」
普段は気の強い あのガンコな真美が、すっかりしょげ返っているのを見ていたら、
三奈子は、自分が何とかしなければならないと思った。
新聞部の部長としてではなく、山口真美のお姉さまとして。
登校日だった土曜日の昼下がり。授業は午前中に終わったがクラブ活動やら何やらで
キャンパスはまだ生徒たちでにぎわっている。そんな中庭の一角に彼女たちはいた。
残暑の陽差しをさけ、大きな銀杏の木陰になる芝生に腰をおろし、文庫本の詩集を
広げているお姉さまと、その膝にうっとりともたれかかり、うたた寝をする妹。
何だか妙に出来すぎの、ほのぼの乙女ちっくな うるわしいシチュエーションだが、
このおっとりとした独特の時空間である乙女の園では さして珍しい光景でもない。
だから、たまたまそこを通りかかった見知らぬ生徒も ちらりと横目で眺めながら
そのまま行こうとしたのだが‥‥、
「う゛え゛ぇぇぇっ！？ 」
おっとりとした乙女に似つかわしくない悲鳴をあげて、思わず足を止めてしまった。
乙女ちっくな うるわしい２人が、誰でも知っている新聞部のあの名物姉妹であるこ
とに気づいてしまったから。
彼女はしばし呆然と凝視してから、さすがに失礼だということに気づいて 後ずさり
し、振り返ってあわてて走り去って行った。
しかし考えてみれば、この方がよっぽど失礼だ。お化けじゃないんだから。
「お姉さま、今誰か "ぐえっ"って言いました？ 」
「しっ！ あんたは うたた寝担当なんだから、眼をつぶって静かにしてなさい 」
三奈子と真美は この場所でもう小一時間、見た目よりもきついこの態勢をがんばって
保ち続けていた。
昨日あの後の相談で、ひねくれ者の武嶋蔦子をその気にさせるには、彼女の方から
写真を撮りたくなるようにし向けるしかないということになった。そして三奈子が
出した結論が、このシチュエーションなのである。
「本当にこれで蔦子さんが写真を撮りに来てくれるんでしょうか？ 」
「絶対来るわ。あの子は姉妹(ｽｰﾙ)のこういう場面を隠し撮りするのが大好きなんだ
から。でも最後まで知らん顔して気づかない振りを通すのよ 」
とは言っても本当にこの態勢はツラい。ひざ枕担当の三奈子の右脚は、真美の頭を
ずっと支え続けてジンジンに痺れ切っていた。
（この子、頭が良い分 ひとより脳みそが重いのかしら？ ）
かわいい妹の頭の中身にまで文句をつけたくなるほどイライラし始めていた。
うたた寝担当の真美にしても、芝生というものは思ったより固いもので、寝返りも
打てずに じっと横たわっていたから身体のあちこちが痛くてしょうがない。
まだまだ暑い９月の陽気に温められた地熱で、２人とも芝生にあたってるところだけ
が ジットリ汗ばんで気持ちが悪い。
姉妹で人知れずそんな努力を続けているさなか‥‥
（あ‥‥ ）
（蔦子さんですか？ お姉さま ）
（いや、紅薔薇のつぼみ ）
（えっ、祐巳さん！？ ）
真美はうろたえた、正直、こんな時に関係ない同級生には会いたくない。
しかし、祐巳は２人を見つけると血相をかえて駆け寄って来た。
「ど、ど、どうしたんですか！ 真美さん、しっかりっ！ 大丈夫ですか！？ 」
真美が倒れて介抱されていると思ったらしい。
「熱中症？ 貧血？ 朝ごはんは食べました？ 何杯？ 昼ごはんは！？ 」
「あ、あのね、あなた‥ 」
「三奈子さま落ち着いてください！ 私も手伝いますから ともかく保健室へ！！！ 」
「落ち着くのはあんたでしょうが！ この子は、愛しいお姉さまのひざ枕で 午後の
癒しのひとときを過ごしてるのよ！ 見てわからないのっ！？ 」
「え？ 」
三奈子の剣幕に ようやく我に返った祐巳は、友人の顔をのぞきこんだ。
顔を赤らめた真美が、何とも申し訳なさそうに うなずく。
しかし祐巳は、今度はまた 別の意味でガク然とした。
「‥‥‥ひざ枕？ し、知らなかった‥‥三奈子さまと真美さんって、そういう関係
だったんだ‥‥ 」
「そういう関係ってのは どういう関係よ！？姉妹でひざ枕しようが お姫さま抱っこ
しようが、ほっといて欲しいわっ！ 」
「い‥いえ、そんな意味じゃなくて、お二人ってそういう"仲が良すぎるようなこと"
をしない姉妹だと思っていたもんですから。
べ、別に似合わないとか、こっけいだとか、何か勘違いなさっているんじゃないか
とか、そんなことはまったく、これっぽっちも思っていないわけで‥‥ えーと、
あれ？ つ‥つまり‥‥ 」
祐巳はいよいよ混乱して、自分でも何を言ってるのかわからなくなってきた。
「わかったから、もう行ってちょうだい‥。お願い‥‥ 」
ようやく紅薔薇のつぼみにはお引き取り願ったが、すっかりモチベーションが下がっ
てしまった。
「‥‥‥‥さっきの"ぐえっ"て言うのも、そういう意味だったんですね‥ 」
「‥‥‥‥ 」
それでもさらに二時間、がんばり続けたのは この姉妹ならではの根性の賜物だった
に違いない。しかしやがて、ついに日が傾き始めてきた。
「お姉さま、時間切れですね。残念ながらこの明るさじゃ、蔦子さんが来てくれても
もう無理みたいです 」
「ゴメン、真美。作戦を間違えたようだわ。半日、バカなことにつき合わせちゃった
わね‥‥ 」
三奈子にしては珍しく、神妙な様子で妹に言った。しかし、真美の方は逆にサバサバ
とした表情である。
「いいえ、お姉さまが私のために ここまでしてくれたんですから。それに中途半端に
しないで最後までがんばったことも、私たちらしくてよかったですよ 」
２人は戒めの姿勢を解き、思いっ切り気持ちの良い伸びをした。夕暮れの涼しい風が
すうっとほほを撫でる。
「でも‥、ツーショットはどうする？ 」
「まだまだ何ヶ月も先のことを、今から考えてもしょうがないですよね。蔦子さんが
言った通り、自然にまかせることにしました 」
真美はごく自然に、お姉さまの右腕に自分の両腕をからませた。久しぶりの柔らかな
感触に、三奈子は フッ‥とほほえんだ。かわいい妹は ちょっとはにかんだ笑みを返
して言った。
「似合わなくても こっけいでも、私はすごく嬉しかったですよ。お姉さまのひざ枕 」
コン コン‥
「まいどー、写真屋でーす 」
リリアン女学園のシンボルの、銀杏並木もすっかり黄色く色づいた１０月のある日。
新聞部の部室に出前が来たらしい。
「何が、まいどーよ。武嶋蔦子でしょ、入ってらっしゃい 」
三奈子がいつものように無愛想に応対すると、部室の小さな扉が開いて写真部の部長
が顔を出した。
「蔦子さん、先週預かった一面用のスチール写真なら、掲載はまだ２週間以上先の話
ですよ 」
つい先日、正式に三奈子から新聞部の全権を委譲された新部長の真美が、ビジネスラ
イクに切り出した。
「いやぁ、その件じゃないの。クラブハウスの薄い壁のおかげで、ちょうど今 真美
さんと三奈子さまの二人だけだって判ったのでね。この間約束した品物をお届けに
うかがった次第 」
「この間？ 約束の物？ 」
「約束って、私たち二人に‥‥？」
けげんな様子の三奈子と真美を楽しげに眺めながら、蔦子さんは体の陰に隠していた
紙袋を出してみせた。
「フフーン、お二人とも、すっかりお忘れですね。そうでなくちゃいけません。
こちらとしてはね 」
紙袋の中から、週刊誌大の大きさのパネルを取りだした。包んでいる半紙を丁寧に
はがすと‥
「あっ！？ 」
それは、ともに手をつなぎ、取材バッグを肩にキャンパスを駆ける 新聞部姉妹の
まぎれもないツーショット写真だった。
先週の学園祭に向けて新聞部の企画の為に、取材に奔走していたその時のものらしい。
それは三奈子の新聞部部長としての最後の仕事でもあった。
真美はドキッ‥とした。
右手に取材メモ、左手で妹の手を引きずるほどにしっかりと握りしめながら 視線は
あくまでも前方を見つめ、目標に向けて躍動するお姉さまの、精悍な横顔としなやか
な姿態を心から美しいと思った。
三奈子はドキッ‥とした。
左肩に大きな取材バッグを抱え、もつれる足取りで転げそうになりながら 姉の横顔
を見上げて その手にしっかりとすがりつき、必死について行こうとしている小柄な
真美の健気な姿を心から愛しいと思った。
「タイトルをつけるなら“戦友”ってところでしょうか。おかげ様で、私のコレクシ
ョンの中でも出色の出来になりました。
これが本当の"写真"っていうものなんですよ、ご両人 」
蔦子さんは、満足げにニンマリと笑った。真美はパネルを両手に握ったまま、ただ
呆然と見入っている。
口惜しいが三奈子は、宿敵に完全に一本とられたことを認めざるをえなかった。
「あなた、確かに天才かもしれないわね。相手が女子高生なら、どんなシチュエー
ションでも作品に作り上げてしまう腕前、見事だわ 」
「いえいえ、とんでもない。写真はあくまでも素材が命です、腕は二の次ですから。
ただし、どんなにうるわしい場面であっても、それが本当に写真に残す価値がある
ものかどうかを見抜く目だけは、誰にも負けませんけどね 」
蔦子さんは、まるでシャッターを切るみたいにパチッとウィンクしてみせた。
フチ無しメガネのファインダーの中で、戦友姉妹は顔を見合わせ 真っ赤になった。
